過去重賞ライブラリ

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 今週行われる重賞の過去を振り返ってみよう、というタイムリー企画。CDTVでやってる「なんとかライブラリ」からヒントを得た、というか、そのままパクったコーナーです。勝った負けたは関係なく、思い出に残るレースを厳選紹介!!


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  1. 第51回 桜花賞(G1) 平成3年4月7日発走
  2. 第53回 皐月賞(G1) 平成5年4月18日発走
  3. 第105回 天皇賞・春(G1) 平成4年4月26日発走
  4. 第59回 日本ダービー(G1) 平成4年5月31日発走
  5. 第25回 スプリンターズS(G1) 平成3年12月15日発走
  6. 第58回 菊花賞(G1) 平成9年11月2日発走
  7. 第106回 天皇賞・秋(G1) 平成4年11月1日発走
  8. 第16回 エリザベス女王杯(G1) 平成3年11月10日発走
  9. 第11回 マイルチャンピオンシップ(G1) 平成6年11月20日発走
  10. 第38回 有馬記念(G1) 平成5年12月26日発走


    第38回 有馬記念(G1) 平成5年12月26日発走

     去年の有馬記念以来、1年ぶりのこのレースで、この年のクラシックを2着2着1着、その後も天皇賞・春、宝塚記念を勝ったビワハヤヒデを力でねじ伏せた。と同時に、自身の引退レースとなってしまう。すべての競馬の常識を覆してしまった馬、トウカイテイオーである。7冠馬を父にもち、デビュー以来、無敗にて2冠を制するも、故障で3冠目を不出走。故障明けのレースで圧倒的な勝利をおさめるも、世紀の対決となった天皇賞・春は、レース中の故障で惨敗する。復帰戦の天皇賞・秋は、驚異のハイペースに巻き込まれ、これも惨敗。しかし、続くジャパンカップでは、世界の強豪相手に完勝する。が、その後の有馬記念は、不完全な体調のため惨敗する。そして、1年後のこのレースで...
     強さと脆さが同居した馬、ということだろうか。類希な才能に己の躯が追いつかなかったのだろうか。1着か惨敗か。彼のレース記録は潔いものばかりだ。これだけ強烈な個性を持った馬は、そう現れないだろう。すべてのレースを、生で見られたことに感謝。(2000.12.11)

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    第11回 マイルチャンピオンシップ(G1) 平成6年11月20日発走

     ご存じ、秋のマイル王決定戦。だが、春のマイル王決定戦である安田記念とこのレースを連覇した馬は、意外と少ない。同年であれば、なおさら。ノースフライトは、春と秋のマイルを連覇した。美しい響きの名前を持った彼女は、そのスピードを身上としながらも、実に力強い走りを見せた。ライバルはサクラバクシンオー。距離適性が異なるとはいえ、希代の名スプリンターを寄せつけなかった。マイルでは...
     ノースフライトは、デビュー戦から買い続けた、数少ない馬です。このレースの単勝馬券は、今でも財布の中に忍ばせています。そういえば、これが引退レースだったのです。最強牝馬というには、少し地味な気がしますが、私はそう思いたい。(2000.11.14)

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    第16回 エリザベス女王杯(G1) 平成3年11月10日発走

     岡潤一郎が落馬で亡くなってから、何年たったのでしょうか。思えば、このレースが初のG1勝ちだったのです。シスタートウショウ、イソノルーブルといった春の主役に代わって出てきたのが、リンデンリリー。名前がいいですよね。ちなみに馬主は、私の名字と一緒です。それはおいといて、トライアルであるローズSを圧勝し、1番人気に支持された同馬。若い岡にはキツいかなぁ、なんて思っていました。ところがところが、トライアル同様、圧勝劇を演じました。ただ残念なことに、ゴール後故障を発生したリンデンリリーは、このレースを最後に引退しました。そして、その数年後...(2000.11.7)

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    第106回 天皇賞・秋(G1) 平成4年11月1日発走

     ツインターボがいてダイタクヘリオスがいた。驚異のハイペースとなったこのレース。1番人気トウカイテイオーをはじめ、有力馬はみんな先行。そして直線、先頭にたったダイタクヘリオスにトウカイテイオーが並び、そして交わす。が、そこまで。ハイペースが堪えたのか、伸び脚を欠いてゆく。それに代わって抜け出してきたのが、レッツゴーターキン、ムービースター。ハイペースについて行けないのが幸いしたのか、脚をためる結果となった。そして、直線力つきてゆく有力馬たちを、後方から一気にゴボウ抜き。見た目にも鮮やかな勝ちっぷりであった。
     展開。予想する上で欠かすことの出来ない要素の1つである。このレースで「展開」の恐ろしさを知った。故大川慶次郎の言葉ではないが、展開が読めれば予想も当たる、の意味を知らされたレースであった。勝った馬を弱いという気は更々ないが、「展開」が違っていれば着順も違っていただろうし、また、「展開」の読みがなければ予想も外れたであろう。(2000.10.28)

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    第58回 菊花賞(G1) 平成9年11月2日発走

     わたしは一つ、確信していたことがあります。G1、特にクラシック競争を勝つ馬に珍名なし、と。だからこそ、トライアルを2連勝しても、その馬が勝つことなどあり得ない、と。しかし、そんな固定概念を、粉々にしてくれた馬がいました。その馬とは、マチカネフクキタル。マチカネワラウカドとセットで考案されたであろうその馬は、伝統ある菊花賞を勝ってしまったのです。それも、豪脚と呼ぶにふさわしい末脚で...
     彼がわたしに教えてくれたこと。それは、「この馬は来るわけない」という先入観を捨てること。つまり、ハナっから「これはダメだ」と決めつけないこと。ほんの少しのプラス材料を探り当て、「もしかしたら」という考えをいつも持つこと。以来、予想の幅が広がったように思えます。でも、だからと言って、ティコティコタックは買えません...(2000.10.16)

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    第25回 スプリンターズS(G1) 平成3年12月15日発走

     3強が対決するレースは、かなり盛り上がります。2強では馬券に妙味がなくツマらないのですが、3強であれば別です。古くは、テンポイント・トウショウボーイ・グリーングラス、最近では、ナリタタイシン・ウイニングチケット・ビワハヤヒデ、テイエムオペラオー・アドマイヤベガ・ナリタトップロード。これら3強が揃ったレースでは、名勝負が繰り広げられ、その他の馬には、決して割り込ませなかったものです。この年のスプリンターズSも、そうなっていたはずです...
     優勝馬ダイイチルビーとダイタクヘリオスは、この後にも、マイル・スプリント路線において、名勝負を繰り返しました。両者とも、一歩も引かないレースぶりが印象的でしたが、2強ではなく、3強であったとしたら、もっともっと名勝負となっていたに違いないでしょう。そう思うと残念でなりません。最強と信じていたケイエスミラクル、あんな形で終わりになってしまうとは...競馬とは残酷なものですね。(2000.09.10)

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    第59回 日本ダービー(G1) 平成4年5月31日発走

     「ブルボンは2400Mもつか?」が話題でした。2000Mを楽勝した馬が、たったの400M延びただけでダメ、っていうのもおかしなハナシです。わたしが思うに、「2000Mは長い」と皐月賞で無印にした予想家どもが、「次こそはダメだ」と意地になっていただけという気がします。さらに言えば、皐月賞の前走であるスプリングSで「1800Mは長い」と言った予想家どもが、さらに意地になっていたのではないでしょうか。 ブルボン=スプリンター説は、さまざまな要因が重なった上で導き出されたものでした。首の高い走法や、気性、スピードなどはもちろんですが、なんと言っても「血統」です。ただ、厳密な意味での「血統」ではなく、「父がマグニチュード」といった単純な理由からです。ブルボンが出る前、マグニチュードの代表産駒といえば「エルプス」です。ご存じ、桜花賞馬ですが、オークスでは大敗しています。実際に見たワケではないのですが、 明らかに距離が長かったようです。この「マグニチュード産駒=エルプス=短距離馬」という式が、「マグニチュード産駒=短距離馬=ブルボン」という答えを出したのです。なんと安直で、バカげたハナシでしょうか。まぁそんなこんなで、正統な血統論者をも巻き込み「ブルボンは2400Mもつか否か」があいさつがわりとなりました。結果は、2400Mを楽々逃げ切りました。また、負けはしましたが、3000Mの菊花賞でも好走しました。たしかに、走法や気性面ではスプリンターだったかもしれませんが、高い能力のおかげで、長距離もこなせたのでしょう。このとき、ブルボンを無印にし、トライバルチーフという極端な短距離血統を父母にもつナリタタイセイを本命にした予想家には死んで責任を取っていただきたい。
     この菊花賞が最後のレースとなってしまいましたが、願わくは、スプリンターズSかなんか、適距離と言われるレースを見てみたかったですね。(2000.05.27)

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    第105回 天皇賞・春(G1) 平成4年4月26日発走

     「追えば、地の果てまでも伸びそうだ」と名手が言えば、「天にも昇る脚ですよ」と天才が切り返す。どこまで行ってもこの2頭であろうと考えた。この馬だけは負けない、いや、負けるわけがないと本気で信じた。「皇帝の仔は帝王」、トウカイテイオーのことである。いやっ、若かったですね、この頃は。青いとも言いますか。だ〜いたいやねぇ、史上屈指のステイヤーに対し、初の長距離戦に骨折明けの2戦目。これで勝ったらバケモノでしょう。菊花賞でも経験してれば、いい勝負だったかもしれませんがね。「どうしても欲しい春の盾、どうしても渡せない春の盾」などと、大いにあおってくれましたね。結果はともかくとして、2強対決でこれだけ盛り上がったのは、後にも先にも、このレースしか記憶がありません。そういえば、この先日に尾崎豊が亡くなったんですよね。だから、武*豊*だ、なんて言ってた人もいました。(2000.05.08)

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    第53回 皐月賞(G1) 平成5年4月18日発走

     優勝・ナリタタイシン。「皐月賞は速い馬が勝つ」という言葉通り、速い馬が勝ちました。そういう意味では、ウイニングチケットは「運のいい馬」となりますが、あながち的外れではないような気がします。ちなみに、菊花賞は「強い馬」が勝ちました。
     と、まともなレース総括はともかくとし、何が記憶に残っているかというと、ドージマムテキからウイニングチケットとビワハヤヒデへ、馬連で5000円づつ買ったということです。当時、いろいろな人から馬券を頼まれていて、だいたい30点くらいを買った覚えがあります。これだけの点数があると、マークカード記入も間違いやすく、おそらく500円を5000円とマークしてしまったのでしょう。買った瞬間、「やけに高いなぁ」とは思いましたが、それも後の祭り。確認してみると、ドージマムテキから5000円2点の馬券が出てきました。どこのバカだと思い「買ってきてリスト」を見てみると、500円2点はいますが、さすがに5000円2点はいません。ここまできて、やっと気づきました。が、ここからが私の卑しいところ。すぐさま、的中時の配当を計算し、微笑みを浮かべながら馬券をポケットにしまいました。「間違い馬券は当たる」という淡い期待を抱きながら...結果はご存じの通りですね。(2000.04.09)

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    第51回 桜花賞(G1) 平成3年4月7日発走

     優勝・シスタートウショウ。とはいえ、イソノルーブルのほうが、断然印象深い。「ガラスのシンデレラ」なんて、こっぱずかしいフレーズも生まれました。イソノルーブルの馬券を買ったファンが、JRAに対して裁判を起こす、なんていう動きも出ました。しかししかし、これが後のオークスへの伏線だったなんて、誰が想像できたでしょう。「競馬はロマン」派には、たまらない展開だったはず。このときばかりは、「競馬はロマン」派を羨ましく思ったものです。
     このとき、なぜか私はノーザンドライバーに惚れ込んでいたため、馬券とは縁がありませんでした。(2000.04.08)

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